Yoraku のはじまりの物語
Yoraku は、與座範仁(よざ のりひと)が一人で営む、デザインの仕事です。
ここでは、その始まりの物語をお話しします。
つくることが、好きだった
私は子供の頃から、ものをつくることが好きでした。父は家族のホームビデオを撮っていて、世界中のいろんな地域や、美術館・博物館に連れて行ってくれました。いま振り返ると、私の「アート」「デザイン」への関心の種は、その時にまかれたのかもしれません。
中高生の頃は、GIMP やフリーソフトで画像編集をして遊んでいました。でもその頃は、「デザインは、限られた才能のある人だけが作るもの」だと思い込んでいました。
「自分にも、できる」
アメリカの大学に進み、エンタメが好きだったのでコミュニケーション学科へ。一旦休学して、10人ほどの小さな会社で働くことにしました。そこに、デザイン部があったんです。
ある日、ウェブデザインをしていた先輩が、バナーの作り方を見せてくれて、「自分にも作ってみる?」と。やってみたら、意外とできました。
その瞬間、気づいたんです。
デザインは、自分でもできる。
普通の人でも、作れるものなんだ、と。
この気づきが、いまの Yoraku の根っこにあります。
遠回りと、学び
その後、デジタルハリウッドへ。ウェブデザインを専攻しながら、動画を作り、コンペに出て、友達と個展を開き、美術館や LEXUS のイベントに展示し、メディアアートの授業にも参加しました。自分がやっているのはアートなのか、デザインなのか ── その境界の学びは、いまも仕事に活きています。
大学院では、起業や、成功者の哲学、デザインとは何かを学びました。周りに経営者や起業しているクラスメートが多く、「自分にも会社が起こせる。誰でも起こせる」と知りました。
在学中、沖縄で会社を起業しました。でも、それは辛い経験になりました。何も見えていない、わからない状態で始めてしまったんです。深掘りできず、モヤモヤを抱えたまま、実力以上のことをやろうとしました。
その経験が、いまの仕事のやり方の土台です。明確でないまま、進まない。深掘りする。モヤモヤを解決してから、進む。Yoraku がヒアリングを重ね、テンプレに頼らず、本質的な課題解決にこだわるのは、ここから来ています。
会社のあとは、個人で活動を始めました。日中はお菓子メーカーで動画編集、夜はフリーランスでカメラマンやデザイナーとして。趣味で撮り続けていた写真が、気づけば仕事になっていました。
三つの名前
屋号は、二度変わりました。
最初は noeffort。「頑張らない」「自然体で続ける」が由来です。でも、誰にもスムーズには読まれない名前でした。
次に Zenzen。「善であるかどうかが大切」という言葉と、「全然大丈夫」と肯定する音の、丸くてかわいい響きから。noeffort の自然体を、「自然の善」として深めた時期です。
そしていま、Yoraku(与楽)。「人に楽しみを与える」。お笑いが好きな気持ちも、少し入っています。最近、自分の中にエネルギーが出てきて、頑張ることの気持ちよさも感じています。noeffort の知恵を持ったまま、「頑張ってもいい」と言える自分になりました。
noeffort で自分を労り、
Zenzen で自分を受け入れ、
Yoraku で他者に与える。
屋号の変化は、私自身の心の三段階の成長だったのかもしれません。
そして、あなたへ
Yoraku のビジョン「だれもが、自分を愛し、自分の暖簾を掲げられる未来へ」は、この物語を、誰かへの祈りに変えたものです。自分を愛すること、暖簾を掲げること。その道を、これから出会う人たちと、ともに歩いていきたい。
「才能がある人は違うね」と言われたことがあります。でも、そうは思いません。いろんな経験の積み重ねが、いまの私を作っている。だから、出会うあなたにも、それはきっとできると信じています。
乾杯から、暖簾へ。